ちょうど図書館に以下の読みやすそうな本があったので、借りてきた。
また最近C型肝炎の薬害が問題になり、
ちょっとそういう観点からも興味があった。
この本の筆者は経歴的には、
医学の本場であるアメリカの大学病院で、
豊富な臨床経験もあり、かつ、
アメリカの大学で助教授の職にもあったという
精神分析医の経歴としてはたぶん本物なんだと思う。
蔵書数が少ない図書館で、目についたのでたまたま消極的に拾った本である。
お役所の精神分析 (単行本)
宮本 政於 (著)
単行本: 325ページ
出版社: 講談社 (1997/03)
精神分析学と心理学の関係について以下のように述べられている。
日本では心理学や精神分析学は必須の学問とはなっておらず、精神分析という学問は十九世紀後半、フロイトにより確立されました。精神分析学の基本は心理学にあります。・・・だからこそ人間性を重視した欧米社会では、心理学や精神分析学は必須の学問となっているのです。・・・この学問のユニークなところは、患者と分析をしている自分とを客観的にみるための訓練を受けなければならない部分にある。
人間性は軽視されているということになるのでしょうか。
全体的な記述としては、マトを得ているところもあるのかもしれませんが、
やや一面的過ぎるところもあるような気もしなくはないので、
評価は微妙というところですか・・・。
「組織」というチームプレーになると致し方ないことも、一面としてはあるわけで、
行政学や法学といった専門家の観点からの分析力がないとなんともいえませんか。
中央官庁の人たちの知見はものすごいものがあるだけど、
本書のような一面もあると・・・。
利害関係人が多すぎて身動きが取れないと・・・。
本質をとらえつつ、官庁の人たちのプライド・地位・名誉・金銭的な報酬も維持しながら、
うまく改革していくしかない、というところでしょうか。
こういうイレギュラーな本が出て、
ほらみたことかと悦に入るのは、あまり好きではありません・・・。
浅学なのらいぬもので、この辺で終了とさせていただきます。
それにしても最近の図書館は、
ホームレスの人や準ホームレスの人や
私のらいぬみたいな人や
精神的に病気をしている人が多く、
私のらいぬのような者の絶好の暇つぶしスポットになっています・・・。
本読んでお金が入るのならいいのだけど・・・。
ただで入手した本を読んで、書評を書き、広告収入を得ようとしているのらいぬです\(^o^)/
頑張って生き伸びようと思っています\(^o^)/
勉強にもなり、お金も入る(?)なんて一石二鳥\(^o^)/
インターネットのおかげで、生きがいを得ているのらいぬです\(^o^)/
本当はブログではなく、学術的手法にのっとった論文や本を書きたかったのらいぬです(ToT)
無職です(ToT)
【入手すべき場所】図書館
大学時代、ある先生から
「古典は読んだら疲れるので決して読まないように」
と言われていたので、古典はなるべく読まないことにしていたのらいぬ。
新聞で、東芝の西田厚聡社長の特集があり、
丸山真男の『「文明論之概略」を読む』が紹介されており、
読んでみることにした。
良い本は後の楽しみにとっておきたいし、
あまり影響も受けたくないしなど生意気なのらいぬ・・・。
福澤諭吉の『文明論之概略』も読んだかどうかの記憶もないが、
浅学なのらいぬが、「福澤」に対して持っていた意識からして、
ちょっと気後れしていたところもあったかもしれない。
丸山真男は、著名な政治学者である。
のらいぬの学生時代に亡くなられたが、著作は読んだことはあるが、
たいして覚えてもいない。
丸山真男について、山川出版社の日本史用語集から以下引用。
と紹介されている。【丸山真男】 頻度6回 1914〜1996 政治学者。東大助教授時代の1946年、雑誌『世界』に「超国家主義の論理と思想」を発表。日本ファシズムの精神構造を明らかにした。
のらいぬがいた大学のある先生は、
「私が生きているあいだに彼の死を見れたことはラッキーでした」←学問的な意味でですよ!
と言っていた。
1996年は、大塚久雄も故人となり、社会科学を専攻しているものからすると、
いわゆる「戦中派」というのでしょうか、そういう大人物が2人亡くなった年であった。
大塚久雄について、山川出版社の日本史用語集から以下引用。
【大塚久雄】 頻度6回 1907〜1996 経済史学者。東大教授。1944年『近代資本主義の系譜』を著し、いわゆる大塚史学を構築した。
丸山先生の『「文明論之概略」を読む』に戻ろう。
以下に、アマゾンへのリンクを置いておく。
すべて岩波新書である。
文明論之概略を読む 上 岩波新書 黄版 325 (新書)
丸山 眞男 (著)
新書: 272ページ
出版社: 岩波書店 (1986/01)
文明論之概略を読む 中 岩波新書 黄版 326 (新書)
丸山 眞男 (著)
新書: 296ページ
出版社: 岩波書店 (1986/03)
文明論之概略を読む 下 岩波新書 黄版 327 (新書)
丸山 眞男 (著)
新書: 335ページ
出版社: 岩波書店 (1986/11)
読書会での講義をテープに録り、本にしたもののようだが、いわゆる「実況中継本」である。
読んでいきなりびっくりしてしまったのらいぬ。
浅学なのらいぬが言うのもおこがましいが、
これは・・・天才だわ・・・。
ちょっと興奮してしまった浅学なのらいぬ・・・。
浅学なのらいぬのような者がおぼろげながら持っている福澤観に、
いきなりストンストンストンと本質にナイフを投げられて身動きが取れない・・・。
「それはなしにして読んでみよう」と丸山先生は言うのだ。
「歴史的条件」「愚民観」「脱亜論(アジア蔑視)」は、とりあえずなしにして読んでみようと・・・。
内容については浅学なのらいぬなもので、言及できないし、
もっと読むのは後の楽しみにとっておいてもいいと思ったので、
丸山先生の人柄と凄さが伝わり、他にも勉強方法などの点で参考になるところだけ、
前半部分から引用して、コメントさせていただきます。
「一見して難しい」要は、カタカナ言葉が氾濫し、難解なわりには無内容な「思想」が流行しているかに見える現在の日本で、平凡な真理を非凡な表現で語った『文明論之概略』が、この私の拙ない解説を機縁として、一人でも多くの日本人に読まれることを希求して筆を擱く。
「一見してわかりにくい」
「一見して読めない」
「いやこの部分はこうも読める、いやこうも解釈できる」
・・・など、そういう「一読了解できない」本のほうが
学問的にも世間的にもありがたがれるのだ。
「すごい」と・・・。
浅学なのらいぬでは読めない本がいっぱいあり、
そういう本が世の中ではありがたがれるようだ。
漢字ばっかり使った漢字博士が書いた本が評価されたりして・・・。
丸山先生のこの一言は大先生の一言だけに励まされる気がする。
本当にわかっている人はわかりやすい言葉でやってくる。
人間は難しい言葉・漢字を使われたり、見たりすると
それだけで権威があるような気がしてしまうのだ。
加えて、丸山先生、たいへん謙虚である。
浅学なのらいぬながら身が引き締まる思いである。
究極の勉強法ですね。南原先生と話をしていて談たまたま『論語』に及ぶと、先生は「あの人はね」云々というのです。「あの人」というのはむろん孔子のことです。けれども「あの人はね」といわれると、何か孔子が同じ町内に住んでいる老人のようで、私などには、そこに漂う一種の不自然さがおかしみを誘いました。・・・孔子もアリストテレスも、ルッテルもカントも、先生にとっては「昔々あるときに」生きていたえらい人というよりは、偉人は偉人でも隣に住んでいて、垣根の向こうから声をかけてくれる日常生活のつき合い相手なのです。南原先生の政治学史の講義は、こういう向う三軒両隣りの偉人たちと先生とが交す会話から成り立っていました。
日常に引き寄せて考えていけば、
自然と何事も身についていくはずです。
その南原先生も、
もしかすると若いころは「おまえ頭大丈夫か」と言われていたかもしれませんが、
小学生から社会人まで真似するとよい勉強法でしょう。
なるほど・・・。わかりやすい言葉です。感服いたしました。この御殿女中的社会では誰が殿様に気に入られるか、立身するか、その見通しが全く利かない。ただご寵愛を待ってるにすぎない。見通しが利かないから立身するほうほうを客観的に明らかにできない。他人がお引き立てを受けても、客観的に認識できる方法がないのだからそれに学ぶこともできない。そうすると、ただ羨むだけ、嫉むだけとなる。
病気を持ちながらも「健康」というのはいい言葉だと思います。福沢は青年時代に緒方洪庵の「適塾」に学んで以来、終生医学に強い関心をもっています。・・・病気をもっていながら、なんとか健康であるのを、帯患健康と表現したのです。
なるほど、というところですが、浅学なのらいぬですが、その意味で、福沢は、孔孟の教であれ、プラトンの政治哲学であれ、「学者政治」にたいしては、あきらかに否定的といえます。学者が政府の顕官になったりするのは自己の本分を忘れるものだ、「甚だしきは、官員に駆使されて目前の利害を処置せんとし(中略)却って学者の品位を落とす者あり」などと、今でも耳の痛い学者がいないでしょうか。もっとも、福沢が現代に生きていたら、政府だけでなく「マスコミや大企業に駆使されて」という言葉をつけ加えることになるかもしれませんが・・・。
他の本で検討してみたり、行政学などの学問で、他の国と比較することも必要かもしれません。
浅学ながら、あまりこういう議論には深入りしたくないのらいぬ。
きりがないような気がするので・・・。
のらいぬは「ハウ・ツゥのハウ・ツゥ」で、結構でございます。
「福沢惚れ」についても学問的なもの以外の「軽い」話で、
浅学なのらいぬがら、一言持っているのですが、それはまた今度にしようと思う。
【入手すべき場所】本屋・ネット書店
【関連記事】
・東芝の西田厚聡社長は東京大学の博士課程出身だが、
日本においても各組織でトップまで行くためには、
原則的には、博士号をとらないといけいないとし、
それを中央官庁のキャリア制度のように機能させたらどうなるか。
・東芝の西田厚聡社長は東京大学の博士課程出身だが、
なぜ文系ながら東芝という大企業には入れたのか。
昔と今では何かが違うのか。
新聞では「博士課程3年の時に知人から東芝を紹介された」と知人からの紹介となっており、
自分から就職活動をしたようには見えず、
どういう経路で入れたのか。
また「2年間、イランで働き、その後も働くなら本社で採用する」などという
フレキシブルな採用の仕方がなぜ存在したのか。今ではなぜなくなったのか。
・アメリカのように、この大学の学士ならいくら、修士ならいくら、博士ならいくら、
と採用側が給料を決めだしたらどうなるか。
・現在の公務員試験の職種を拡大し、大学生全員が受験することとし、
その上位者は、新聞で公表(匿名可能)し、賞金も付与、
就職も行きたいところへ無試験で行けることにし、
上位者は「キャリア」と称し、
新・公務員試験上位者+博士号取得者は、「スーパーキャリア」とし、
公共セクター・民間セクターでも、早く出世させることを確定させたらどうなるか。
民間セクターでは、そうではない「叩き上げの人」も、十分トップにいけることにする。
経営者や幹部も、
「キャリア」「スーパーキャリア」「叩き上げの人」などいろんな人が混ざり、
お互いに支えあうことにするとどうなるか。
今回は「キャリア」がトップ、
今回は「スーパーキャリア」がトップ、
今回は「叩き上げの人」がトップと多様にさせることにしたらどうなるか。
「キャリア」「スーパーキャリア」の人たちは、
政官財のパーティなんかで、気楽に面接し、その人の適正を見分けてもらい、
企業や進むべき道をトップの人たちが決めてあげたらどうなるか。
学生本人は、自分ではどういう仕事に適性があるのかわからないので、
政官財の人の見識で、仕事を決めてあげるとどうなるか。
また「行政学院」「政治学院」のような学校を作ったらどうなるか。
またそういうコースに乗れなかった人も、
復活できる敗者復活のルートも設けてあげることはできるか、設けたらどうなるか。
・「キャリア」「スーパーキャリア」の人たちは官民行ったり来たりして、
大局的な視野を持たせたらどうなるか。
・大学入試における選別能力を重視する日本の学歴社会との整合性はどうするか。
どちらかを変えるか、両方とも変えるか。
・「大学ビックバン」を行い、いきなりアメリカのようなダイナミックなシステムをもつ
大学ならびに企業の採用システムをつくれるか。
・現在の「新・公務員試験」の職種を拡大し、大学生全員が受験することとし、
入学前の成績と入学後の成績を大学ごとに比較、大学ごとの点数を比較したらどうなるか。
・その「新・公務員試験」と他の資格や入試との科目免除・無試験合格などの整合性を取ることはできるか。
・日本の企業風土におけるキャリア制度の意義
・キャリア制度の「数学的な」意義
・現在におけるキャリア制度の意義→日本はもはや成熟している社会
・明治時代との比較
・東京都の公務員試験の採用・昇進システムと中央省庁の比較
・中央省庁の各省庁でのノンキャリア公務員の扱いのちがいの比較
分析した本を図書館で見つけたので、読んでみました。
浅学なのらいぬですが、立花隆さんは、勉強をネタにして暮らしている人からすると、
大変な敬意と畏怖をもって、接せられる人であり、なんでそんな敬意をもたれるのか、
ということに浅学なのらいぬながら、二言持っているのだが、それはまた今度にしようと思う。
東大生はバカになったか (文春文庫) (文庫)
立花 隆 (著)
文庫: 378ページ
出版社: 文藝春秋 (2004/3/12)
全体としては、やや一面的過ぎる箇所も少しありましたが、的確な意見が大部分であり、
期待を裏切られることはありませんでした。
のらいぬがいた高校は、ほどほどの進学校で東京大学に合格できる人数は
せいぜい3〜5人前後くらいしかいない、
というところでしたが、東京大学に入った人たちは、
私見で、分類すると、
「努力タイプ」
「天才タイプ」
「記憶上手タイプ」
「勉強上手タイプ」
「理解上手タイプ」
「勉強が好きタイプ」
「普通の人」
などに分けられ、
浅学なのらいぬは、高校時代を含め、東京大学に入った人たちに、
特に「バカ」であるという印象を持つことはありませんでした。
むしろ高校生の時点では「尊敬する人」が多かったように思う。
立花先生が本書で定義する「バカ」は、意味が違うようです。
以下、背景色が違うところは本書からの引用。一部中略。
なるほどというところですが、やるんだったら、忌避のない意見を聞くと、結構、大学の先生方の中には相当過激なことをいう先生がおられまして、文部省なんか要らない、文部省を壊した方がいいとはっきりおっしゃる先生もいらっしゃるわけです。しかし、日本人の大部分はあの文部省というのがそんなに弊害が大きい官僚組織だということを知らない。・・・これは世界に特異的な日本だけの現象でありまして・・・
体系的に一気にやらないと駄目でしょう。
なるほどなーというところです。日本でも大学進学率は45パーセントをこえていますが、大学に入ってからの教育水準が低いから、知力の総和はグンと低くなる。アメリカとは大差がついています。どれほどちがうかは、本屋に行くとすぐわかります。アメリカでは、結構知的水準が高い本がベストセラー入りするのに、日本でベストセラーになるのは、ほとんどがタレント本程度の知的水準が低い愚劣としかいいようがない本です。TVはバカ番組のオンパレードだし、雑誌で圧倒的に売れているのはマンガ雑誌だし、日本の知的国力はもう取り返しがつかないほど下がっているといってよいでしょう。
日本いい加減にしないと、もうやばそうである。
マンガばかり読んでいるのらいぬです・・・。
BSテレビでヒルマン監督とヴァレンタイン監督の対談をみたのですが、
はっきりいって、日本やばいなと思いました。
なんていうんだろう、
あの人たちはスポーツ人でも野球という切り口を専門にしながら、
背景に学問を感じました。
別に学問をそのまま使っているというわけではないのですが、
知的水準の高さを痛感させられました。
また大リーグのシステムも、
「経済学」ではないものの「経済学的思考」を極めた
内発的にできあがったある目的に向かった効率的で合理的なシステムだと聞いています。
では日本の野球も大リーグのシステムを導入しようとしても、
それは上滑り以外のなにものでもないと思います。
これは、立花先生の重い一言ですね。そういう人材を社会に供給していくために必要なのは、学生をどんどん専門課程に送り込んで狭い領域のことしかわからない専門バカ的スペシャリストを沢山育てることではありません。むしろいろんな専門領域のことまである程度わかるというゼネラリストを育てるために、新しいリベラル・アーツを構築することです。
いろんな専門領域のことまである程度わかるという太字のところがポイントだと思われます。
ある程度でよいと・・・。
なるほどというところです。なぜなら、研究職にとって一番大切な資質は、創造性(クリエイティビティ)ですが、創造性がどこから生まれてくるのかといえば、異分野との接触によって生まれるシナジー効果(相乗効果)によることが多いのです。この道一筋で、脇目もふらずに、ただそれだけを研究してきたという研究者がいい研究をするわけではありません。最近ではむしろ、インターディシプリナリー(学際的)な他の領域との接触部分にこそいい研究のシーズ(seeds)があるということがわかってきて、あらゆるところで、領域をこえた研究交流が進められています。個人の頭の中もそうです。できるだけ幅の広い領域の知識を沢山詰め込み、いわば頭のなかで知的化学反応を起させることによって、ユニークなアイデア、クリエイティブな考えが生まれてくるのです。良質のリベラル・アーツ教育をすぐれた若者tたちにほどこすことは、社会の知力の総和を増大させるだけでなく、クリエイティビティを増大させるという大きな副次的効果があるのです。
学際といっても、わからないからといって、
そっぽむいたり、怒り出したりする古い頭の先生も多く、
なかなか難しいような気がします。
確かに、異分野にネタが多いというのは、その通りだと思います。
容赦なく落第させればそれでOKというのではなく、このままいくと、日本は有名無実のとんでもない高学歴国家になります。・・・アメリカでも、ヨーロッパでも、学生を容赦なく落第させます。
他のシステムとも一体となった、総合的、歴史的な考察が
必要ではないかと浅学なのらいぬながら思っています。
そうだったんだー。恥ずかしながら初めて知りました・・・。東大というと、一般の人のイメージにあるのは、おそらく東大法学部で、東大卒というと、官庁や大企業に入ってエリートとして社会的成功をかちとっていく人というイメージだと思うのですが、ぼくなんかにいわせると、ああいう連中は、決して東大のメインストリームじゃないんです。傍流もいいところです。じゃ東大のメインストリームにいるのはどういう連中かというと、一言でいうと、勉強が好きで好きでたまらない連中なんです。東大の本体というのは、学生ではなくて、教授たちです。・・・教授の目からみたら、学部だけで卒業していく学生なんて、ただのお客さんです。大学のファミリーの一員として認めてくれるのは大学院生からでしょう。そして、教授になる人というのは、みんな、勉強そのもの、つまり学問が好きな人たちなんですね。・・・さらに、他の学部ですと、そこの教授職は大学院進学者の中から出てくるのが普通ですが、法学部には特別の伝統がありまして、学部の最優秀な連中は大学院に進学させない。一挙に助手にしてしまうんです。教授職はその助手の中から生まれる。つまり、法学部の場合は、・・・本当にできるやつは大学院に行かないんです。
確かに、のらいぬがいた大学でも、
東大の法学部出身の教授で、
学部を出てすぐ助手になって、教授になってる人はいたし、
東大の法学部出身の有力な教授の経歴を見ると、
最終学歴が学部になっている・・・。
一橋大学とかでも、学部の後、
5年間も勉強して博士課程に行っても、教授になれるかわからないところ、
東大にはそういう仕組みがあったのか・・・。
そういうことを知らないで、なんのバイアスもなく、
その若い先生を授業を聞いてたんですけど、
確かに優秀だと直感してはいました。
なんていうかバランスがよいというか
人間的にもたいへん謙虚でした。
というか、このシステムは「法学」ならではというとこともあるかもしれない。
「経済学」とかだと、まず学問的に難しいので、
学部だけでは相当至難だと思われる。
また「経済学」だと、メインストリームは数学を土台にしているので、
どの大学でもまあ公平な勝負になるというところもある。
これは重い一言だ・・・。「大学教育はかくあるべし」とか盛んに議論してるヤツにかぎって、専門バカが多いんです。
では、立花隆さんが主導して、
誰にも文句言わせないというのは偏りすぎでしょうか。
偏りすぎですね。
国立大学と著名な私立大学から各2名くらいずつ、
「この人はいい線行ってる教養人」
という教授を推薦してもらって、やってもらったらどうでしょうか。
一気にやると危ないか・・・。
立花隆さん生きてるあいだにやってもらったほうが、
いいんじゃないでしょうか。
もうそういう稀有な人材でてこないかもしれないので・・・。
しかし、浅学なのらいぬの立花先生の傾向からすると引き受けてくれないでしょうか。
なるほどー。「教養とは知の集積なんでしょうか」という問いに対して⇒それもあるけど、それだけじゃない。前にもいったように、実践的能力も大事です。
実践的能力・・・。
これはさすが、というところですか。いや、専門家を説得して味方に引き入れるだけの知識と説得力があれば、あとは専門家がやってくれるんです。官僚をバカにしてはいけないのは、官僚機構にはこういうシステムが実に見事に備わっている。竹下登元首相なんかがよく言っていたのは、「優れた政治家とは、官僚機構を徹底的にうまく利用するやつなんだ」と。自分自身が兵隊になる必要はなくて、上に立ってリソースを動員して、オーガナイズする能力が問題なんです。
中央官庁の人たちの知見というのは、すさまじいものがある。
びびるくらいです。
日本では、政策作りなどという知見は、中央官庁に独占されてしまっているので、
実務経験をともなって覚えたければ中央官庁に入るしかないというところですか。
なるほどー。・・・歴史学者の大久保利謙さんですが、彼は日本の明治時代の啓蒙思想を福沢諭吉がリードしたのが、その後の日本の不幸の一つであり、あのときも西周が日本の思想的リーダーとなっていたら、日本の文明・文化のあり方は相当違ったものになったはずだ、というようなことを述べています。つまり、福沢の西洋思想の取り入れ方にはかなりジャーナリスティックで皮相な側面があり、領域によって福沢好みかそうでないかの偏りがありすぎて、その偏りがありすぎて、その偏りが後々の日本文化にはマイナスに影響するところが多々あったのに対し、西周の西洋思想の取り入れは本格的で満遍なかったということです。
福沢の「偏り」は、浅学なのらいぬなもので、見抜けませんでしたが、
「ジャーナリスティック」なところがあるというのは、
かなり説得力があるような気がします。
正直、賛成ですが、一概に言えないところもあるのでしょう。
日本、大丈夫ですか。アメリカなどでは、大きな組織でそのようなポジションについたとたん、必ず、メディア対応を学ぶためにメディア・トレーニングを受けさせられます。・・・そのような不適切行動をしないためにも、これから大学の教養課程ではメディアを学び、メディア・リテラシーを得ることが必須になってくるでしょう。・・・欧米では、高等教育以前に、中等教育の段階でメディア・リテラシーを相当程度学ぶようになっていますが、日本ではそれが大幅に立ち遅れています。・・・コミュニケーター能力とは、メディア対応を通じて、大衆の心をつかみ、説得する技術です。それは下手をすると、ポピュリスト政治家や、企業のウソ八百をならべるのを助ける技術にもなってしまいますが、反面、そのような技術を一般の人が知ることは、ポピュリスト政治家のウソを見抜き、自己宣伝に巧みな企業のウソを見抜く技にもなるわけで、そういう意味でも、現代人に必須な教養であるといっていいと思います。
なんで中央集権なのに、すぐできないんだろう・・・。
あれだけの知見がある人たちが集まっててもできないということは、
素人にはわからない、計り知れない事情があるのだろう。
それなら地方分権のほうがいいですか。
どっかのブロックではやって、どっかのブロックではやってない、
とかいうほうがまだ健全かもしれない。
「生物も多様なほうが生き残りやすいんです」
と立花先生が他の本でも、しつこく指摘されていたような気がします。
今回のサブプライム問題なんかでも、
逆に保守的な経営をしていた日本が、
先進的な金融技術を駆使していたアメリカの金融機関に、
資本参加しに行ってるし、
生物でも、経済でも、教育でも、そうなんですね。
浅学なのらいぬなので、このへんで・・・。
なるほどねー。欧米の大学では、昔から教授あるいはチューターによる個別指導があるのが当たり前です。・・・具体的な指導の仕方は、大学によって、個人によってスタイルのちがいがありますが、大学教育で最も大事なこととされているのが、そのようなチュータリング(個別指導)です。それが大学教育の本質という人もいるくらいです。日本の大学教育で決定的に欠けているのがこのチュータリングです。・・・
大学教授による個別指導ね。
本気で人を育てようと思ったらそういうのも必要かもしれませんね。
日本やばいですか。
やばい状態でずっといましたか・・・。
たしかに脳科学の威力は浅学なのらいぬながら、コンピュータを使いこなすことなしにいかなるサイエンスも成立しない時代がきているように、人文系の学問でも、脳科学の知見に反するような学問はもはや成立しないような時代がきつつあります。そういう意味で、脳科学は、文科、理科を問わず、全学生必修の教養教育のアイテムとしてかぞえるべきです。脳科学というのは、非常に幅が広い学問で、やっていることも、その方法も一様ではありません。ですから、とても一人の先生が概説できるような世界ではありません。そういう意味で、多方面の多様な研究者を集めて、オムニバス方式のテーマ講義でやるのがいちばんだろうと思います。
最近痛感するものがあるが、
「脳科学最強論」ばかりに傾倒するのは、
どうかとなんとなく思うこともあるし、
どっちにしろ、この記述で、脳科学の総論的ポイントがわかりました。
脳科学は、そんなに幅が広くて、
やっていることも、その方法も一様ではないと思っていませんでした。
浅学なのらいぬは脳科学を大くくりに理解していました。
これもものすごくいろんな意見がいえるところですね。今のようにチャネルを一つにしていると、学生たちが等質化してしまって、危機的状況になったときにはパタンと倒れてしまいます。進化の理論で言えば、多様化していたほうが、系全体としては必ず生き残るんです。今、東大は進化論的に弱い方向へ向かっています。卒業生の社会における役割もだんだん小さくなっているのでしょう。くじ引きは、進化の法則にのっとった革命的改革なんですよ。それに、これで東大生に対する幻想が一挙になくなる。過大評価がなくなる。東大卒を評価するときに、東大という看板を評価するのではなく、その人自身の本当の能力を評価しようとする。どの東大卒がくじ引き入学者がわからないからね。それにセンター試験か何かで、適当な足切りをしておけば、意外に学生の水準は下がらない。一定のバカは入るかもしれないけど、今だって相当数のバカが入っていることは、みんなも知ってる通りです。
くじ引きの学生が大学に入ってから冷遇されたり、
いじめられたりするかもしれないし・・・。
東大生もまた逆に自信をなくしてしまうかもしれないし。
とにかく立花先生は、
日本の大学教育・教育システム全般はやばいよ、
ということを本書のいたるところで指摘しています。
立花先生の愛情あふれる社会人になる学生へのアドバイスです。結局、この社会は人間で構成されてるんだから、ポジティブ、ネガティブ両面の人間の多様性を知り、そういう人とのつきあい方を学ぶことが最も大事な教養だと思うね。
この意見まったく同感です。日本にはオーバー・ドクターがたくさんいるでしょう。博士課程を出たけれども、就職口がないという人たち。僕は彼らをどんどん高校の教師として送り込むべきだと思います。それをやっただけで、日本の教育は驚くほど変わりますよ。
博士課程に在籍していた人(博士号取得者・博士課程単位取得退学者)を
教員採用試験の科目免除や無試験採用とかしたり、
ものすごい高給で教員としてむかえる。
教員をしながら専門の論文を書くのもいいでしょう。
教員の仕事は事務の仕事もあるのでしょうが、
現在のポスドク問題を解決しつつ、
日本の教育水準を上げる一石二鳥の現実的な提案だと思います。
ポスドクを高給で迎えれば、彼らのプライドも維持されるにちがいない。
私の高校時代の英語の先生で、
「慶応の文学部使えないから、卒業後、東京外国語大学入りなおして勉強しなおした」
と豪語されていた先生がいましたけど、すごい先生の一人でした。
ポスドク教員いいですね。
人より多くを勉強した人を教員にむかえるのはとてもよい。
勉強が好きだから博士課程まで行っているわけで、
そういう人たちの勉強好き、学問を尊ぶ態度、深みのある話は、
生徒にものすごくいい刺激になると思う。
他にも示唆に富む話がたくさんあって、すごく勉強になりました。
図書館で借りて、3回くらい読みました。
また、かわいい話ものっていたので、引用させていただく。
要するに、これくらい学問というものが尊ばれていたし、実際、明治時代の初期、・・・卒業後に、役所に就職するときもこのランクによって給料が大幅にちがいました。在学時代から、成績による評価がきびしく、試験のたびに席次が発表され、各科目の成績優秀者には、教師の著名入りの書籍や学用品が賞として与えられました。・・・明治九年には首席卒業生に、百科事典『エンサイクロペディア・ブリタニカ』が賞として与えられたといいます。
大学の教師から「著名入りの書籍」をもらえると、
学生は喜ぶとか、そういう真面目で厳かな雰囲気があったと・・・。
しかも、もらえる首席卒業の賞が百科事典だし、給料もランクによって変わっていたと・・・。
浅学なのらいぬの知識では、明治時代は今のアメリカ的な感じだったということなんでしょうか。
立花先生は、
百科全書派のコンドルセなる人物によく言及されているので、
ご本人も、そういう人物を目指されて勉強人生をおくられてきたのかもしれませんが、
浅学なのらいぬなもので、立花先生評は、失礼させていただきます。
百科全書派について、山川出版社の倫理用語集から以下引用。
【百科全書派】 18世紀後半にフランスで刊行された『百科全書』の執筆・刊行に参加した啓蒙思想家たちの総称。中心となったディドロをはじめ、ダランベール、ヴォルテール、ルソー、エルヴェシラス、ドルバックらがあげられる。フランス革命の前夜において、絶対主義権力の弾圧下に啓蒙活動を行い、民衆の間に合理的かつ進歩的な考え方を広めようとした彼らは、フランス革命を思想的に準備する役割をはたした。
立花隆さんの本は、
できるだけ、たくさん読んどいたほうがいいと思います。
浅学なのらいぬでも、
学生時代に立花先生の本で興味あるものは、ほとんど読んだと思います。
浅学なのらいぬが直感するに、
問題なのはこの立花先生が2001年に書いた内容がこれっぽちも、
実行されてないということが問題なんだと思います。
ただ現実に実行するとなると、
日本全体(政・官・財)で一体となった取り組みが必要なのでしょう。
行政学や政治学などで語られるべき問題でしょう。
2008.2.3追記
同日付の朝日新聞によると、
秋田県教育委員会は、2008年度から教員免許がなくても博士号があれば、
県内の小・中・高校の教員として採用することになったという。
採用は若干名。39歳までなら受験可能。
全国から公募し、文部科学省によると全国初の試みという。
とてもいい試みだと思います。
立花先生の現実的な提案が具体化されたようでうれしく思います。
教員免許がなくてもよい、というのは、とてもいいですよね。
税理士資格の法律・経営・経済系の大学院による科目免除制度なんかより、
よっぽど社会の厚生をアップさせると思います。
のらいぬ的には、博士号取得者の採用数の枠なんかなくしてしまってもよいと思うし、
実際に博士号を取ることは大学によっては至難なので、
博士課程単位取得退学者までOKとし、
範囲を広げるのがよいのではないかと思います。
ぶっちゃけた話ですが、
教員になりたいなら博士課程まで行くのが、
いちばん近道くらいになってしまってもいいと思います。
また年齢制限も撤廃しましょう。
私のらいぬは、年齢による制限がフリーター・ニートのやる気を減少、
社会復帰を削いでいる最も大きな原因となっていると思っています。
のらいぬのような素人にははかりしれない事情が多々あるのでしょうが、
公務員などの公共部門は、
年齢が高いと、出世したときにあとでつっかえてしまうなんていう、
採用における近視眼的な年齢制限はすぐにやめるべきでしょう。
【入手すべき場所】本屋・ネット書店
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