norainu mind
読書をすること、学問を少しでも学ぶことが最近では唯一の心の救いとなっている。そんな浅学で教養がないのらいぬが書く日記です。
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行き方を調べるために、ヤフーの地図で調べると、周囲がお寺に囲まれて、包囲されている感じ。もしかすると、仏教系の大学かもしれない。お寺が土地を大学に提供したのかもしれない。東洋大学の学生と触れ合ったことはないが、卓球の関東学生リーグでは、2部・3部校くらいのレベルとかの情報しか知らない。勉強や学問や友達での接点は特になかったが、中学校の友達で、東洋大学に現役合格したやつがいた、ということを思い出した。自慢気に、「どこ受かったと思う?」とみんなに聞き、フェイントをかけながら、「東洋大学だ!!」と自慢していた姿を思い出しました。あいつ、元気かな・・・。友達がいない、友達をなくしがちなのらいぬ・・・。そこそこ頭良いやつだったと記憶しています。「日東駒専」→「大東亜帝国」というフレーズがありました。写真だけ貼っといて、後日レポートします。カメラ付き携帯電話もってから、初めての大学見学レポートです。カメラ付き携帯電話に感謝です。後日詳細レポートします。直感は、「使える大学」「明るい大学」「きれいな大学」「お寺」です。とりあえず、予備知識の予習。以下、山川出版社の『日本史用語集』から引用。日本史の受験生は全部覚えなければいけませんのらいぬは、世界史選択だったので、大学受験以降も、それ以外の科目も、機会があるごとに、積極的に勉強しようと思っています。

///【井上円了(いのうええんりょう)】 頻度6回 1858〜1919 仏教思想家。哲学館(現東洋大学)創立。政教社創立にも参加。国粋主義からキリスト教に反対、仏教の覚醒を促す。
【国粋主義】 頻度15回 日本的な伝統・美質を強調する傾向。欧化政策に対する批判として、明治20年代から盛んになり、民族主義・国家主義に傾斜した。国粋保存主義ともいう。
【政教社】 頻度21回 国粋保存を唱える思想的結社。1888年、三宅雪嶺・志賀重昴・杉浦重剛らが設立。雑誌『日本人』を発行。明治中期頃が最盛期。
:【『日本人』】頻度21回 政教社の機関誌。1888年創刊。のち『日本乃日本人』と改称。三宅雪嶺らが国粋保存の論陣を張った。
【三宅雪嶺(みやけせつれい)】 頻度21回 1860〜1945 ジャーナリスト・評論家。名は雄二郎。政教社を設立し、国粋保存の立場をとる。『真善美日本人』は代表的著作。
【杉浦重剛(すぎうらじゅうごう)】 頻度5回 1855〜1924 教育家・評論家。政教社創立に参加。国粋主義を鼓吹。皇太子時代の昭和天皇に倫理学を進講。
【志賀重昴(しがしげたか)】 頻度13回 1863〜1927 地理学者・評論家。政教社創立に参加。国粋主義を唱道。次の主著がある。『日本風景論』『南洋時事』。///


覚えられません。。。図書館や講義棟までは、時間もなく、潜入することはできませんでした。

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首相のテレビ利用について、以下の高瀬先生の本を手がかりに考えてみようと思う。麻生首相が、内閣発足後、閣僚名簿を官房長官を介さず、自身自ら読み上げたことで思い出しました。高瀬先生は、公務員試験の受験生には馴染みがある先生だと思います。

///武器としての「言葉政治」―不利益分配時代の政治手法
高瀬 淳一 (著)
単行本: 228ページ
出版社: 講談社 (2005/10)///


【追加本】

///言語学者が政治家を丸裸にする (単行本)
東 照二 (著)
単行本: 271ページ
出版社: 文藝春秋 (2007/06)///


【関連記事】
・ロシアのテレビと比較←NHKの特集から
・日本の放送倫理委員会(BPO)の行政からの独立性について
・日本の行政とスポンサーとテレビ
・メディアリテラシー教育について
・テレビについての基本知識←NHK教育テレビから(メディアのABC)
・司法の行政からの独立性について→人事権・国側敗訴の判断をした裁判官の出世など


もう疲れた。。。作成中。。。大学院中退後の悲惨な8年間→何も得るものはありませんでした。全く成長していません。勉強面や実務的な知識や社会経験などもっと充実したものが得られていればなーと思っています。悲惨な8年間を詳細に記述して、嘆こうかなと思っております。もっと自分の適性にあった仕事、もしくは、うまく適応できる会社には入れていればなーと思っています。●●的なプラス思考は御免被りますが、何も自信の根拠とするものはございません。。。学生の皆さんはのらいぬのようにならないよう、この記事を、「反面教師」として、就職活動やお仕事を頑張ってくださればと思っています。ネットでは絶対に匿名で書きます。そうでないと会社勤めとかできなくなりますので・・・。経営者なら別ですけど・・・。すべてにおいて中途半端なものしか持っておりません。ソフト開発の末端で働いていると、「上げたり下げたり」されて、まず「向上心」がなくなります。「大局的な観点に立って」という視点を持つなんて、ありえなくなります。まったく余裕がないですから、その日、その週、その月、その案件をどう処理するかなどの「近視眼的な視点」しか持たなくなります。しかも、そのとき、そのときの「保身」に走って、勉強する気も起きなくなります。使うかどうかもわからないし、使える立場になるかどうかも全く保証されていないのですから・・・。以前読んで、当拙ブログにも書評させていただいた、丸山真男の『「文明論之概略」を読む』の記述は、まったくその通りだと思うんです。

///この御殿女中的社会では誰が殿様に気に入られるか、立身するか、その見通しが全く利かない。ただご寵愛を待ってるにすぎない。見通しが利かないから立身するほうほうを客観的に明らかにできない。他人がお引き立てを受けても、客観的に認識できる方法がないのだからそれに学ぶこともできない。そうすると、ただ羨むだけ、嫉むだけとなる。///

丸山先生の洞察力は、さすがだと思うんです。心理学・脳科学風にいうと、「脳が疲弊して」疲れてしまいます。加えて、のらいぬのような生活を送ると、「負け癖」がつきます。しかも、派遣社員時代もフリーター時代も、年下の人に怒られてばかりで、極端に「矮小化」されてしまい、まったく「自信」がなくなります。のらいぬも大学院中退してから、まったく安定した生活もなく、女の子としゃべった記憶もないですね。仲間や友達なんかも作れた記憶もないですね。2から3ヶ月で作業場所を転々として、作れるわけありません。加えて、そういう不安定な生活を送ったため、病気をしてしまい、さらに消耗してしまいました。どうせ上がったって、下げられるだけなのだから、自分から進んで、何かをやるとき手を挙げようという気持ちはなくなってしまいます。大学院時代の自信満々の自分が懐かしくもあり、そのときの勢いで、自分の目指すところに就職が決まっていればなーと思っています。大学院時代の何人かの教授(お調子者など)や「擦れた社風」のソフトハウスで働いた経験や「人を使い捨てる派遣会社」などの実体験などがあり、あんまり人も信用しなくなったかもしれません。大学時代は、「片山さつきさん」のような感じでしたね。自分の目指すところに就職が決まっていれば、そういう感じで、年齢的に衰えたり、社会経験でうまくまとまっていったかもしれませんが、今もいたのだろうなと思います。それから「誉められる」ということがまったくありませんでしたね。誉められたら、「嫌がらせをされている」と大半は解釈するようになりました。こんな生活を送るんだったら、学生時代にバイトしていた小さな塾でも勤めていれば、病気もせずに、まあまあ給料ももらえて、まったりした生活を送れていたかななんて、思ってもいます。でも、それだとまったく社会というものを知らないで、大学時代の延長で生きていたのだろうから、なんともいえないと思います。病気をして2年間を棒に振って、社会を知ったような気がしてます。今、こういう「希望」を失った人は、私くらいの年齢の人に多いと思ってます。正直な気持ちをブログにでも書いて、誰かの励みになったり、交流できればなと思っています。みんな結局自信を喪失しているんだと思うんです。病気をしたり、半分病気をしていて精神的にも体力的にも疲弊している人が多いと思うんです。秋葉原の連続殺傷事件なんかも、気持ち大変わかります。被害にあわれた方は、もちろん第一義的に、かわいそうで、お悔やみ申し上げます。しかし、彼も、高校は県内で有数の進学校で、そういう工場労働をするような人ではなかったと思うんです。派遣社員で、脳が疲弊して、本来的には、精神科に行って、問診を受けて、お薬飲んで、一定期間ゆっくり休むべき人だったと思うんです。しかし、実家からも孤立して、そういうのを客観的に把握して、指示してあげる人やアドバイスをあげる人がいない。社会は「間接的に教える」というある意味、「非人間的な手法」で、動いています。彼が、「作業服がなくて激高した」なんていうのも、工場労働が、どのようなマネジメントで動いているのか、なんて僕は、わからないんですけど、「間接的に教える」という手法から、もう精神的な病気になっているという気がするんです。のらいぬも、「精神医学」はまったく不勉強なので、本などで、勉強していこうと思っています。刃物をわざわざそんなに離れているところに買いに行く、というのも、「誰かに見られている」「人につけられている」「刺客がいるような気がする」という「被害者意識」「被害者念慮」の病気をしてしまっていたと思うんです。監視カメラに移っているようす、目つきから、少しもう妄想・空想状態にあったのかもしれません。そういう状況に追い込んでいる今の派遣会社を中心とした社会のシステム、精神的な疾患のアドバイスができる人の不足、などなど自分ではどうすることができない問題が、背景にあると思うんです。警察に捕まって、警察官と親身に話し、人間性を回復したなんて、悲しい話ではないでしょうか。。。もうちょっと自分の力ではどうしようもない、というところもあると思うんです。派遣会社なんかで、私のらいぬような技術力が低いプログラマーなんて、給料17万円くらいですから・・・。それだけで使われて、また病気したらどうしようもありません。技術的に成長することもありませんし、立ち上がれなくなります。給料が安すぎるというのも、精神的に参ってしまうと思うんです。給料が高いと好きなものをより買ったり、食べたりできるし、安心感も変わってくると思うんです。「政治」に関しても、「アホ」ばっかといってしまっていいでしょう。「政治」というのは、そんなに、合理的に動くものではないので、仕方がない、という「政治学」的な視点も必要なのでしょうが、のらいぬも不勉強なので、本などで、勉強していこうと思っています。「行政」に関しても、なんであんだけすごい知見の人が集まって、こんなしょぼいものしかでてこないのかといってしまっていいでしょう。「行政」というのは、そんなに、合理的に動くものではないので、仕方がない、という「行政学」的な視点も必要なのでしょうが、のらいぬも不勉強なので、本などで、勉強していこうと思っています。もちろん、のらいぬが、いちばん「アホ」なのは言うまでもありません。。。(・A・)イクナイ!!これも「インターネット」の長所でもあると・・・。普通の生活ではいえないようなことを「インターネット」では言えます。僕もこんな社会人生活ながら、勉強を継続できたのは、1人よがりながら、「インターネット」で発信できたおかげだと思うんです。大学とはまったく専門外のコンピュータの仕事をやったのも、「インターネット」だといろいろとおもしろいことができそうだと思ったからなのです。自分で、大学時代の学問を通して学んだことやそこで思いついたことが1人でも実現できそうだと思ったからなんです。「しっかりとした学問に裏打ちされた」ことをやってみたかったからなのです。塾の先生では、悪くないけど、せいぜい1クラス当たり10人くらいで、成果も少ない。インターネットだと、うまくいった場合、成果が大きい。しかも、自分のやりたい通りにやれるではないですか。なかなか「組織」や「会社」でやると、自分の意見や意思は採用されないものです。技術も経験もなくほとんどのものは実現できていませんが、いくつか自分の技術と経験で可能なものは、試みて、達成できたものもあるような気がします。しかし、どれもアクセス数が少なく、広告収入もほとんど上がりません。広告収入以外のリアルにお金が集まる「WEBサイト」もやってみたいのですが、1人でやるには「技術」が足りません。「技術」があっても、うまくいく「保証」もありません。「人」を使うのも、「お金」も「経験」もありません。しかし、「経済学的思考」でいうと、「ローテク」のほうが、成功しやすいそうなのです。1日で、1万アクセスを達成できる広告つきのブログを書くことも夢の1つですが、なかなかうまくいきそうもありません。まずは、自分の力で達成できるものは、「SEO対策」くらいなので、なんとか本などを読みやってみようかなと思っています。1万アクセスを達成したら、2万アクセス、次は3万アクセスです!!「棒ほどかなって針ほどかなう」なんていいますし・・・。それくらいのほうが、500アクセス達成できるかもしれませんwww。続く・・・。悩みを吐露してすっきりするかもしれません。ちょっとすっきりしたかもしれません。。。

【関連記事】
・キャリア制度の意義
・秋葉原事件について
・スポーツの効用
・スポーツなどの地域クラブの効用→健全な「中間団体」の支援と創設と活用
・のらいぬの会社のマネジメントの実体験→健康管理・就職と適性
・小学生・中学生・高校生・大学生・社会人のギャップ度
・私が経験したそれぞれの会社の実体験と反省と教訓→ぜひ学生の皆さんに参考にして欲しい!
・引退したサラリーマンの先輩からの教訓話
・片山さつきさんについて
・のらいぬの究極的な目標→●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●!


以下の本が、改訂されたので読んでみた。
一読して浅学なのらいぬがわかるはずもない本なので、
とりあえずざっくりと読んでみた。

社会経済システムの制度分析 新版―マルクスとケインズを超えて
植村 博恭 (著)
単行本: 452ページ
出版社: 名古屋大学出版会 (2007/10)


いわゆる「制度経済学」という分野になるのでしょうか。
浅学なのらいぬながら、全く排除するつもりはない本である。
こういう経済学説史的な検討(?)もある本も大切であると思っている。
いわゆるマンキューの『マクロ経済学』のような本だと確かにわかりやすいが、
そういう観点がまったくないので、それもまたどうかと思うからだ。

授業を聞きながらじゃないとわからないのかもしれない。

青木昌彦さんとかのいわゆる「制度経済学」との関連、
下記にある通り、青木先生は、
ミクロ・スタティックな新古典派的な「応用ミクロ経済学」の1分野という位置づけですか、
経済学の学問のなかでどのへんに位置づけられる本なのかがわからない。

とりあえず図書館で借りて一回読んだだけではとうていわからなそうな本である。

今後の検討のために、キーワード的に、一部引用させていただく。

・来たるべき21世紀は、当面「資本主義対資本主義」の時代となるであろう。
・「制度の経済学」においてとくに重要な論点は、資本主義と呼ばれている経済システムは、「市場」が全面化したシステムではなく、様々な「制度」が埋め込まれ、そのことが、「資本主義の多様性」を生み出しているという点にある。
・「比較制度分析」「レギュラシオン・アプローチ」「進化経済学」
・これからの四半世紀は、「制度の経済学」あるいは「比較経済システム」分析の時代になる可能性が高い。
・しかし、現実の経済世界では、資本主義経済の「多様性」を重視するこのような学問的動向とは別の思潮が世を覆っている。それが、IMFの構造調整政策に代表される「市場主義」とでも呼ぶべき考え方であり、規制緩和論に見られる昨今の日本の「改革」論もまた、その延長線上にある。
・これまで、「制度の経済学」というと、しばしばミクロ・スタティックな次元に留まり、新古典派的な「応用ミクロ経済学」の1分野として受け取られてきた。しかしながら、本書は、このようなものとはいくぶん違ったものとなっている。本書で目指されているのは、貨幣的側面と社会制度的側面とをともに視野に納めつつ、歴史的時間、不可逆的時間のなかで進行する過程を分析するマクロ・ダイナミックな「制度の経済学」である。この点で、われわれの出発点は、やはりマルクスとケインズである。われわれは、マルクスやケインズに執拗に立ち戻りつつ、かれらが提示したパラダイムが21世紀において有している可能性と限界を確かめ、そのうえで、「マルクスとケインズを超えて」進んでいこうと考えている。そのための1つのよりどころとして、われわれは、M.カレツキに多くを学んでいる。かれは、いかに両者を媒介し、どのように乗りこえたらいいかという点に関して深い示唆を与えてくれるからである。また、「貨幣」、「労働」、「制度」をキーワードとしつつ本書を展開しているのも、以上のような意図によるものである。


本書を開けばすぐ分かるように、われわれが提示しようとする理論の基調音となっているのは、マルクスとケインズの経済理論である。いや、むしろマルクスとケインズに対する理論的こだわりが本書を生み出したと言った方が良いかもしれない。・・・マルクス主義にせよ、ケインズ主義にせよ、1970年代以降、多くの疑問が提示されるようになった。・・・伝統的なマルクス主義は、「市場経済」を廃棄することが可能であると考え、ケインズ以後のケインズ主義は、国家が「市場経済」を制御することが可能であると考えた。どちらも、「市場経済」を人間の理性によって、全面的にか、それとも部分的にかという違いはあれ、置き換えることができると考えていたということである。・・・そして今、この「操作主義」、「理性主義」を本質とする「計画」の思想にとって代わって登場してきているのが、しばしば「市場主義」と呼ばれている風潮である。

ともかく、とても面白そうな深みのある本ではあるが、
浅学なのらいぬなので、理解できないか、
何回も読まないとわからないか、
授業を聞かないとわからないか、
どうやってもわからないのどれかだろう。

経済学用語や学者名や論文リストも充実しており、
辞書的にも、使えそうな本である。
著者の解釈からいろいろと学ぶことができそうな本である。
理論経済学を専攻している学生さんにもお勧めできるかもしれない。

M.カレツキについてウィキペディアから『ミハウ・カレツキ』を以下引用させていただく。

ミハウ・カレツキ(1899年6月22日-1970年4月18日)は、ポーランドの経済学者。ケインズとは独立に有効需要の原理を発表。マクロ経済学の経済変動理論を発表してポスト・ケインジアンとして高い評価を得ている。


要するに、いわゆる『ミクロ経済学』の教科書にのっているような理論も絶対的なものではなく、
原書からの再検討がいくらでも、学術的にはできるということでよろしいでしょうか。

最近は、大学の授業も、聴講生という立場で、お金を払えば、
聴くことができるようで、植村先生の授業も、聞いてみたい授業である。
かなりできる友達は「あれがすごくいい授業なんだ」と言っていました。


【入手すべき場所】図書館・(授業を聞ければ)本屋・ネット書店

【関連記事】
・植村博恭教授の「現代経済システム」


以下の本を斜め読みしてみたが、私的にはあまり面白くなかった。星新一ファンには楽しめる本なのでしょう。星新一さんは小・中学生くらいのときに読んでみたことがあるが、とても楽しく読んだ記憶がある。

///星新一 一〇〇一話をつくった人
最相 葉月 (著)
単行本: 571ページ
出版社: 新潮社 (2007/03)///


児童文学としてしか評されないことに、星新一さんは忸怩たる思いがあったそうだが、「やるだけやっても最後はオカルト」というところは、学問にもあるらしく、理系・文系の学問分野を問わず、星新一さんのストーリを検討してみても面白そうな気がする。

【入手すべき場所】図書館




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